カートコバーンの遺書を詠む

 

カートコバーン遺書解説

 
 
 
 
 
 
 
 


 

カートコバーン、ジミヘンドリックス、ジャニスジョップリン、ブライアンジョーンズ、ジムモリスン

 

彼らはアーティストであり皆27歳でこの世を去りました。

 

ただ、カートコバーンだけはただ一人明確な自らの意思で命をたちました。

しかも壮絶な遺書を残し

ここでは、そのカートコバーンの遺書を紹介します。




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ニルバーナ映像

 カートコバーン遺書日本語訳

 カートコバーン遺書解説

 カートコバーン英文テキスト 

 カートコバーンとアクセルローズ対立の背景 

自殺までの経緯

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90年代のグランジロックバンド、『ニルヴァーナ(NIRVANA)』のギター兼ボーカルで主要な曲の作詞作曲者である『カート・コバーン(Kurt Cobain 1967-1994)』の遺書原文。 人気絶頂の1994年4月、27歳と1ヶ月の若さで自殺した。

 


 

 

●NIRVANA映像

●ニルバーナNIRVANAのLIVEパフォーマンス

メジャーデビュー直後のMTVビデオミュージックアワード’92から。

MTV側からはヒット曲「smells like teen spirit」を演奏してほしいと頼まれていたがNIRVANAはこれを拒否。

NIRVANA側は「rape me」という曲を演奏したいと申し出ていたがMTVはゴールデンタイムに放送する内容にふさわしくないとしてそれを拒否した。

結局ご覧のとおり「Lithium」を演奏することで双方合意したのだが、

MTV側から拒否されていた「rape me」という曲を冒頭で歌っている。

曲の終わりには当時毛嫌いしていたガンズ&ローゼスのアクセルローズにデイブ(ドラム、現フーファイターズボーカル)が「ハイ、アクセル」といったりクリスがベース(ベース)投げたりしてます(本人曰くアンプが落ちたから)。曲の終わりにカートコバーンがクリスを蹴ったらしいのですが画像では確認できません。

カートコバーンとアクセルローズ対立の背景

http://www.youtube.com/watch?v=MHWX3pCSEpU

●ニルバーナNIRVANAのLIVEパフォーマンス

自殺する4ヶ月前に撮影。カートコバーンのシャウトとデイブグロール(当時NIRVANAドラマー、現FooFightersボーカル兼ギター)のバックコーラスとがよく調和している曲です。この曲(Drain you)はシングルカットされていませんがカートコバーンが比較的好んで演奏していたといわれています。


http://www.youtube.com/watch?v=goc67Yh32b8

●カートコバーンのいないニルバーナ

MTVビデオミュージックアワード’94から。

デイブグロール(当時NIRVANAドラマー、現FooFightersボーカル兼ギター)のコメント(2分30秒あたり)「こういうところで話す人間じゃないんだけど(I'm not the most vocal person in the world.).。寂しく無いわけない(But ,ah,it'd be silly to say it doesn't feel like there's something missing)。毎日カートのことを考えている(I think about Kurt every day)俺たちのバンドに気をかけてくれてみんなありがとう(I'd like to thank everybody for paying attention to our band, thanks.)」


http://www.youtube.com/watch?v=8wPsHsASW84

●カートコバーンの受賞コメント

MTVビデオミュージックアワード’92から。

メジャーデビュー直後のこの年はベストオルタナティブ賞と新人賞を受賞しております。新人賞ではカートコバーンはおとなしく謝辞を述べておりますが最後に「書いてあることを全て信じろというはむずかしい(you know,it's really hard to believe everything to read)」と言ってます。

(当時マスコミによるバッシングに対するものと推測)

https://www.youtube.com/watch?v=YU4gZjiVPkI

  ●カートコバーンの死を伝えるCNNニュース(1994.4.8)

http://www.youtube.com/v/4aHueh7kqAk
 

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●カートコバーン遺書日本語訳

Boddahへ(buddha;釈迦のこと?)

 

これは、明らかに弱々しい、幼稚なばかの言う言葉だ。だから理解するにはまあ簡単だろう。

 

何年もの間、パンクロック101コースからの凡ての警告は、独立心とコミュニティーを受け入れる事に関係した。何て言うか、論理へ初めて入門して以来全くの真実であったと実感したんだ。

 

 

 

自分はもうずっと長いこと、音楽を聴くことにも、曲を作ることにも、何かを書くことにも、喜びを感じなくなってしまっていた

 

ステージ裏に戻って、ライトがすべて消え後、熱狂的な聴衆の絶叫をもってしても、聴衆の愛と崇拝を喜び楽しんでいたフレディマーキュリーが感じたように喜び楽しみを感じることはできなかった。フレディマーキュリーみたいにできるのは本当に立派だし羨ましいと思う。

 

自分だってみんなに嘘をつくの嫌だ。ただの一人も騙したくない。自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいのだと嘘をつき、ふりをして、人を騙すこと。

 

時々ステージに出て行く前にタイムカードでも押しているかのような気分にかられていたんだ。

 

 

 

感謝しなくちゃいけない。だから出来る限りの力を尽くしてがんばってみた。(本当なんだ、信じて欲しい、それでも足りないんだ)。自分や自分達が沢山の人達に影響を与え、そして楽しんで貰えた事は重要だと思っている。きっと全てを失ったときに初めてそのありがたみが分る世界一のナルシストなんだ。

 

自分はあまりにも繊細すぎる。子供のころに持っていた熱狂を取り戻すには、少し鈍感でなければならないのに、あまりにも神経質で感じやすい。

 

この最後の三つのツアーでは、みんなやファンにはすごく感謝している。それでもこの不満、罪悪感、感情は解消できなかった。

 

 人間みんなどこか必ず良いところがある。だから本当に人が好きだ。あまりにも愛しているので悲しくなってしまう。

 

 

 

 

 

自分は惨めで、ちっぽけな、何の価値もない、魚座の、救いようもない男。どうして楽しむことができないんだ。分からない。

 

 

 

 

 

希望と思いやりに溢れたがんばり家の女神を妻に持ち、かつての自分に良く似た娘は愛や歓びに満ち、娘に善くしてくれる無垢な人たちみんな誰彼なくキスをする。そんなことがとりとめがつかないほどの恐怖感を与えるんだ。フランシスが自分のように惨めで、自棄で、やがて自殺するロック歌手になるなんて想像に耐えられない。

 

 

 

ただ、良い時期もあった。すごくありがたいと思えるような、そのことには深く感謝している。だが、7歳の時からあらゆる一般人を憎むようになってしまった。なぜなら他の人間はあまりにも簡単に他人の感情を共感しあっているから。自分は人間を愛し、人にとても気の毒な気持ちでいるからだと思う。

 

 

 

この焼け付いて吐き気のする胃袋から礼を言うよ。今まで手紙をくれたり気にかけてくれてありがとう。

 

自分はすごく気まぐれな人間だから、情熱がもう情熱が冷めてしまった。

 

だから覚えておいてくれ、

 

徐々に色あせていくなら、いっそ燃え尽きたほうがいい

 

ピース、ラブ、エンパシー   カートコバーン

 

フランシス、コートニー。俺は、これからは祭壇にいるから。

 

 コートニー、フランシスを頼んだ。

 

俺がいなくなったら、もっともっと幸せに過ごすことができるフランシスの人生のために。

 

アイラブユー。愛してる。


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●カートコバーン遺書解説

 

○パンクロック101(punkrock 101 couses)

101は大学の最初授業のコードが101であることから転じて英語では入門コースを意味する。BOWLING FOR SOUPというバンドにpunkrock101という曲があるがこの曲名は遺書から由来するといわれている  

 

○フレディマーキュリー(Freddie Mercury) 

ロックバンド「クイーン」のボーカル

 

○7歳のときから  

7歳のとき彼の両親は事実上離婚した(正式には9歳)。その後、母の家、父の家、友人の家を転々とすることとなる。

 

○最後の三つのツアー

ヨーロッパツアーのこと?

 

○徐々に色あせていくなら、いっそ燃え尽きたほうがいい(it's better to burn out than to fade away.)

ニールヤングのヘイ・ヘイ、マイ・マイの歌詞からの引用

 

○コートニー

妻の名前

 

○フランシス

一人娘の名前。当時1歳7ヶ月

名前の由来は、カートコバーンが好きだったバンド「The Vaselines」のボーカルから由来するといわれている。またミドルネームはビーンだが生まれた直後の姿が豆粒みたいだったからといわれている。

    (写真左)

 



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●カートコバーン遺書英文テキスト

 

To Boddah

Speaking from the tongue of an experienced simpleton who obviously would rather be an emasculated, infantile complain-ee. This note should be pretty easy to understand.

All the warnings from the punk rock 101 courses over the years, since my first introduction to the, shall we say, ethics involved with independence and the embracement of your community has proven to be very true. I haven't felt the excitement of listening to as well as creating music along with reading and writing for too many years now. I feel guity beyond words about these things.

For example when we're back stage and the lights go out and the manic roar of the crowds begins., it doesn't affect me the way in which it did for Freddie Mercury, who seemed to love, relish in the the love and adoration from the crowd which is something I totally admire and envy. The fact is, I can't fool you, any one of you. It simply isn't fair to you or me. The worst crime I can think of would be to rip people off by faking it and pretending as if I'm having 100% fun. Sometimes I feel as if I should have a punch-in time clock before I walk out on stage. I've tried everything within my power to appreciate it (and I do,God, believe me I do, but it's not enough). I appreciate the fact that I and we have affected and entertained a lot of people. It must be one of those narcissists who only appreciate things when they're gone. I'm too sensitive. I need to be slightly numb in order to regain the enthusiasms I once had as a child.

On our last 3 tours, I've had a much better appreciation for all the people I've known personally, and as fans of our music, but I still can't get over the frustration, the guilt and empathy I have for everyone. There's good in all of us and I think I simply love people too much, so much that it makes me feel too fucking sad. The sad little, sensitive, unappreciative, Pisces, Jesus man. Why don't you just enjoy it? I don't know!

I have a goddess of a wife who sweats ambition and empathy and a daughter who reminds me too much of what i used to be, full of love and joy, kissing every person she meets because everyone is good and will do her no harm. And that terrifies me to the point to where I can barely function. I can't stand the thought of Frances becoming

the miserable, self-destructive, death rocker that I've become.

I have it good, very good, and I'm grateful, but since the age of seven, I've become hateful towards all humans in general. Only because it seems so easy for people to get along that have empathy. Only because I love and feel sorry for people too much I guess.

Thank you all from the pit of my burning, nauseous stomach for your letters and concern during the past years. I'm too much of an erratic, moody baby! I don't have the passion anymore, and so remember, it's better to burn out than to fade away.

Peace, love, empathy.
Kurt Cobain

Frances and Courtney, I'll be at your altar.
Please keep going Courtney, for Frances.
For her life, which will be so much happier without me.

I LOVE YOU, I LOVE YOU!

 


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●自殺までの経緯

 

1967.2.20

ワシントン州ホキアムに生まれる。(6ヵ月後にアバディーンに移る)

1975

両親離婚

1981

14歳の誕生日におじからシアーズのギターをプレゼントされ、本格的にギターを始める 

1985

高校を卒業間近にして退学。その後海軍入隊試験に合格するも入隊を辞退。

 

後のNIRVANAのベースである同郷のクリスノヴォゼリックと「セルアウト」というバンド結成。

当初カートコバーンの担当はドラムであった。その後解散とメンバー交代を得てNIVANA結成。

 1988

インディーレーベルのサブポップからカバー曲シングル「LOVE BUZZ」でCDデビュー

 1991

メジャーレーベルのゲフィンに移籍(契約金は28万ドルと言われている)

1991.12月末

メジャーデビューアルバム「NEVERMIND」がヒットチャートの1位を獲得

1992.2月

極東ツアーのため来日

1992.2.24

コートニーラブとハワイのワイキキで挙式をあげる

1992.8.18

妻コートニーラブがカートコバーンの子供を出産。

しかし妻とともにドラッグ使用疑惑がもたれ、マスコミから子供を育てる資格がないとマスコミからバッシングを受ける。以後マスコミからのバッシングは続くこととなる。

1994.2.20

27歳の誕生日

1994.3.8

ローマのホテルでシャンパンと多量の鎮静剤を服用し最初の自殺を試みる。こん睡状態に陥るも回復

1994.3.18

自宅の一室に銃を持って立てこもり自殺をほのめかす。妻(コートニー)により警察に通報されるが、

 警察が駆けつける前に思いとどまる。

1994.3.28

ロサンゼルスの麻薬更正施設に入所

1994.3.30

麻薬更正施設を脱走。

以後カートが遺体として発見されるまで行方不明状態となる。

シアトルに戻り友人のつてで61bレミントンモデル11の20口径ショットガンを購入

1994.4.5(推定)

留守宅のシアトルの自宅に忍び込み致死量の3倍のヘロインとバリウムを服用し、ショットガンで自殺 

自宅の近所の住民も銃声を聞いた者はいなかった。

 このため正確なカートコバーンの命日(死亡日時)は不明。

カートコバーンが発見された4月8日に追悼イベントが行われるケースも多いようである。

1994.4.8 8:40

セキュリティシステムの設置工事のためにカートコバーンの家を訪れた電気工事技工士ゲイリースミスが

カートコバーンの遺体を発見

 

 

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